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  • 執筆者の写真少佐

ゴジラと荒神

宮部みゆき『荒神』


この作品は、主藩の永津野藩と支藩の香山藩の確執を描いた作品、

に見えるんですが、中盤からは人智を超えた気味の悪い話に変わってきます。


永津野藩側と香山藩側のそれぞれから交互に物語が進行していって、

徐々にこの話が現実離れしていくのを丁寧に描いてます。


描かれるのは、

ある村の一夜にしての壊滅と、

藩の重要人物が呪術によって暗殺された、

というニつの事件です。


これらが、徐々に現実の当たり前だけでは説明がつかなくなってきて、

読者もこの話の見方をゆっくり変えざるを得なくなる。

だからこそ、現実の中に生々しく非現実が流れ込んでる感覚になって、本当に気持ち悪い。


『ゴジラと荒神』


この作品は、宮部みゆき版のゴジラです。


放射能を撒き散らすゴジラを太平洋戦争の英霊達の集合体と解釈するとすれば、

この荒神も、呪いの力でかつて虐げられた香山の人達の怒りを撒き散らす

ゴジラのようなものだと。


生き物が核になって怪物が作られる設定からも、

これが宮部みゆき流のゴジラのオマージュじゃないかと。


ゴジラでは、海から陸に上がって破壊をしながら進んだゴジラが、

皇居の前で立ち止まって海に帰っていく表現がありますが、

ゴジラの中にある人の意思のようなものが感じられます。


荒神でも、怪物は人しか襲いません。

他の獣のことはむしろ恐れて襲おうとはしません。

人への恨みから作られたからだと説明されます。


作品の最後で呪術で作られた怪物の事件は、綺麗に解決します。

しかし藩の重要人物の暗殺の方は、

呪術では無く毒殺によるものだったという様な事がわかって来るのですが、

真犯人もはっきりせず、事態がこれからも進行していくような感触で終わります。


呪いが毒殺に取って代わられて、

それが何度も何度も繰り返されて、

やがては放射能に取って代わられてゴジラに繋がる、

という想像もしてしまいました。


こんなようなゴジラの前日譚的な見方をしてみても面白いかも。


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